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株式会社 東北新社


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インタビュイー
中島 信也氏 代表取締役社長
1982年に株式会社 東北新社に入社。カンヌ国際広告祭でグランプリを受賞した日清食品『カップヌードル』の「hungry?」シリーズをはじめCMディレクターとして数々のヒットCMを手掛ける。2021年2月より現職

圧倒的な技術力でハッピーを届ける

1961年に創業し、その3年後にCM制作事業に参入した株式会社 東北新社。プロデューサーを軸にした制作システム、デジタル技術の導入など日本の広告制作の先駆けとなり、現在も「総合映像プロダクション」として高品質な映像コンテンツを生み出し続けている。同社代表取締役社長の中島信也氏に事業内容やテレビの可能性についてうかがった。(収録:2021年11月18日)
【 CM INDEX 2022年1月号に掲載された記事をご紹介します。】


— 2021年の代表的な広告についてお聞かせください
 東北新社としては東京2020大会のゴールドパートナーであるアシックスさんの企業CMは大きな仕事でした。1949年の創業から世界へと羽ばたいた同社の姿勢をポジティブなメッセージとともに描いたCMや、桐生祥秀さんらアスリートが出演するCMなどを制作しました。
 サントリーさんの『伊右衛門』※1は私が長年担当しているブランドです。2021年は本木雅弘さん、芦田愛菜さん、藤井聡太さんにご出演いただきました。鮮やかな緑の水色(すいしょく)とラベルレスのパッケージがCMの効果も相まって大きな評判を呼んだと聞いています。
 日清食品さんの『どん兵衛』も当社が手掛けているものです。吉岡里帆さん演じる“どんぎつね”のチャーミングな魅力が好評で、特にどんぎつねが眼鏡を投げるという、相手役の星野源さんの結婚を機にオンエアされたCMが話題になりました。
 当社のグループ会社であるソーダコミュニケーションズが日清食品さんのCMを多数手掛けており、アグレッシブなアプローチに注目が集まっています。私も1990年代初頭に「hungry?」シリーズのディレクションを担当したこともあり、『カップヌードル』には思い入れがあるのですが、若い世代に向けて大胆なコミュニケーションを実施されています。コンビニやスーパーに並ぶ商品は元気な会社のものが選ばれる傾向がありますので、企業の活気をお茶の間に伝えるという点でCMが機能していると考えています。

※1 サントリー食品インターナショナル/伊右衛門
商品発売時の2004年より本木雅弘が“伊右衛門”を演じるシリーズを展開。最新作では雪の朝を舞台に、空に商品を掲げて鮮やかな緑色を眺める芦田愛菜と、雪山を前に季節を感じる本木を描いた

テレビは若者にとっても檜舞台
依然としてコミュニケーションの真ん中

— テレビCMの現状をどのようにお考えですか
 当社で3カ月に1回行う品評会には若者の才能あふれるウェブ動画が多数出品され、アイデアの切り口も映像のクオリティーも目を見張るものがあります。アメリカのMVが注目されはじめた1980年代、MVのクリエイターは「いつかテレビCMを作りたい」と願っていたそうで、つまりはMVで評価された結果としてテレビCMという檜舞台に上がれると。最近の若者はテレビを見ないといわれますが、若いスタッフは今でも「テレビCMを作りたい」と言うんですね。その理由を尋ねると「田舎に住んでいるおふくろに自慢できるから」といったもので、やはり世代を問わないメジャー感がテレビにはあります。
 また当社でも案件が増えているのですが、ベンチャー企業もテレビCMを打って一人前といったステイタスがあるようで、若い起業家に一目を置かれています。確かにテレビには新しいテクノロジーを活用したサービスのCMが数多く流れており、依然としてテレビがコミュニケーションの真ん中だといえるのではないでしょうか。

民放は国民の情報インフラ
スポンサー企業と協力して育てていくべき

 2020年3月に全国の民放各社の重役の前で講演をさせていただき、私の考える民放のあるべき姿についてお話したことがあります。
 NHKが有料なのに対し、民放は知るべきニュースや楽しい娯楽などを無料で提供する情報インフラで、それを支えるのがスポンサー企業の皆さまです。企業と放送局が力を合わせて国民を豊かにするインフラを構築するという思いが民放の志だったはずです。ですから当初は番組提供が重要とされていました。視聴者はテレビ番組を通してスポンサー企業に「いい会社だな」といったイメージを抱くようになり、その結果、視聴者と企業の間に関係性が築かれていく。その枠に売らんかなというCMを流せばブランドが傷つきかねませんので、企業や商品に愛着を感じてもらうためのメッセージを伝えることにCMの軸足を置いていたように思います。
 テレビの普及率が高まるにつれて、テレビは誰もが見るメディアとしての地位を確立していきます。そうした中、15秒、30秒というスポットの登場によってテレビ放送は広告媒体としての側面がフォーカスされるようになりました。
 広告主が広告の効果や売り上げといったリターンを期待していることを考えれば、テレビ離れといわれる中で、テレビへの出稿を減らす発想があることは当然ですが、優良なコンテンツを流すパブリックなメディアであることを忘れてはなりません。新しいテクノロジーを駆使してコストを抑え、初心を取り戻して国民のインフラという視点から民放を立て直していくべきだと。スポンサーの中にもクリエイティビティーにあふれる方が多数いらっしゃいますので、番組づくりにコミットしていくべきだと。民放の番組というコンテンツの充実が豊かな国作りにつながると訴えました。

テレビの同時配信による視聴スタイルの変化
CMの価値が高まることに期待

 日本テレビはすでに取り組んでいますが、テレビのリアルタイム配信が順次スタートします。オンデマンドが主流のネットにテレビのタイムラインが入ると、ネットの視聴形態が大きく変化すると予想しています。通勤時にニュースを見て、スポーツ中継を見ながら家路に就く、というスタイルが一般化するかもしれない。するとCMの露出も増えるはずです。私たちは莫大な費用をかけて繰り返しの視聴に耐えうるクオリティーのCMを作っています。テレビが見られないというのは受像機の前からいなくなっただけで、誰もが持ち歩くスマホでリアルタイムにテレビを見られるようになれば、CMも目に入るようになる。つまりCMの価値は高まるのではないかと。
 若い世代を中心に多くの人々がNetflixやAmazonプライムビデオなどのサブスクでハイクオリティーな映像に触れており、目の肥えた視聴者の心を捉えるにはCMのクオリティーも高くなければ機能しなくなる。CMのクオリティーを高めることがブランドの価値につながるという潮流が生まれることに期待しています。
 広告主と生活者の関係性をより良いものにするのが広告の大事な役目で、生活者のお気に入りになれれば、値段や良し悪しを超えた強い結びつきが生まれる。探るべきは買いたくなるインサイトではなく、好きになってもらうインサイトです。好きになってもらうにはやはりコミュニケーションが重要となり、その中でCMは大きな旗印の役割を担うと考えています。
— 東北新社の強みをお教えください
 映像のクオリティーを第一としてあらゆるパワーを動員できる体制を整えており、特に技術にこだわるプロダクションです。東北新社がプロダクションとしてデビューしたのは最後発ともいえ、杉山登志さんをはじめとしたそうそうたるクリエイターをそろえた日本天然色映画が圧倒的な存在感を放っていた時代でした。創業者の植村伴次郎はクリエイターを看板にしても他社に勝てないと考え、プロデューサーがプロジェクトリーダーとして仕事を推進する、アメリカでは当たり前だったプロデューサーシステムを導入しました。
 またテレビ放送が白黒からカラーに変わる頃で、後発で遅れを取っているとはいえ、カラーに変更されることで一旦リセットされると考え、アメリカから照明技師やディレクターを招いてカラーの技術を習得し、先陣を切っていたプロダクションと肩を並べることができた。その歴史が最先端技術を活用した高いクオリティーの映像を提供する東北新社のポリシーの核になっています。

デジタル編集技術をいち早く取り入れ
“作風”を超えた映像表現を実現

 70年代から80年代にかけては杉山登志さん、高杉治朗さん、川崎徹さんら作風のあるディレクターのCMが顔になっていました。「俺、作風ないな」とは思いつつ、バブルで景気も良かったのでフリーになろうかと考えていました。川崎さんに「フリーになると1年間でベンツを買えるぞ」とささやかれ、「ベンツベンツベンツ…」と考えながら歩いていたところ、創業者に「ちょっと来なさい」と連れて行かれた会議室にデジタル映像のシステムが並んでいました。マイケル・ジャクソンの『スリラー』のMVなど当時の日本ではまねのできないアメリカの映像の答えが分かったんです。「これなら川崎徹にも勝てるな」とベンツを棚上げにし、デジタル編集技術を身に付けようと決心しました。ベンツは棚上げのままになっていますが(笑)。その後、当社はCGの時代になると読み、1987年にオムニバス・ジャパンを立ち上げました。
 90年代に入るとCM作りの主役がディレクターからCMプランナーに変わり、佐藤雅彦さん、白土謙二さん、佐々木宏さんらが登場します。私がデジタル技術を駆使して作ったCMを佐藤さんに見せたことがあり、「信也さん、僕はびっくりしました」と。「そらモーションコントロールカメラやで」と心の中で勝ち誇っていると、佐藤さんは「企画のないCMを初めて見ました。僕の企画と信也さんの技術でCMを作れば絶対面白くなる」と続けたんです。「企画くらい俺もできる」と思ったのですが、実際にやってみるとうまくいかない。幸いにして私には技術があり、その技術を一緒に実現してくれる仲間がいる。このチームと佐藤さんの頭脳を使って作れば新しい表現に到達できるかもしれないと思い、制作したのがクリストファー・ロイドを起用したフジテレビの1990年のCMです。これはADC賞のグランプリを受賞しました。また大貫卓也さんと「hungry?」シリーズ、永井一史さんと『伊右衛門』のCMを手掛けるなど、アートディレクターと組む仕事も増えていきました。こうした中でもディレクターの黒田秀樹さんや中島哲也さんらには作風があり、自分にはないなと思うこともありますが、彼らはレッド・ツェッペリンやローリング・ストーンズで、私はビートルズなんだと。ポピュラーの王道といいますか、これが僕の売りでした。
— 今後についてお聞かせください
 東北新社は海外コンテンツの日本語版制作から始まりました。かつては『コンバット』や『スパイ大作戦』といった海外ドラマがゴールデンタイムに放送されていましたが、今ではハリウッドがそのまま配信する時代ですから、受注が減ることが予測される。そこでゲーム音声に参入するなど新しいお客さまの獲得に取り組んでいます。
 広告もウェブ、SNS、サイネージといった多くのウインドウが登場し、広告会社も多様なサービスを展開しているため、我々もCMを作るだけではなくプロモーションと映像制作を一体化させるなど、間口の広い包括的なサービスを提供する体制の強化を図っています。また広告、番組、映画とオリジナル映像が作れる技術を活用し、海外配信も視野に入れた施策も進めています。また放送と配信の境界線が曖昧になる中、それぞれの事業やセクションの境界を取り払い、ひとつの大きな東北新社として組み替えているところです。
 私は東北新社を「ハッピーを届ける会社」だと唱えています。広告であれば広告会社、広告主、そして広告を見た人にハッピーを届ける、映像制作であればハッピーなコンテンツを届ける。そのために技術やクリエイティビティーを磨こうと社員に声を掛けています。当社はスーパーマーケットの「ナショナル」をはじめ、秋田県には400年の歴史を持つ酒蔵を持つなど映像に限らず幅広く事業を展開しており、そうしたグループで働く一人ひとりが「誰かのハッピー」を意識して業務に向き合うことで、広く世にハッピーを届けていければと考えています。