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vol.117 クリエイティブの納税みたいなもの


illustration Takuma Takasaki

サントリー/生樽「一般大衆」篇
1983年オンエア開始
玄関先で当時の藤島親方(初代貴乃花)が「サントリー生樽に音の出る『アワミクロン』が付きました」と商品を差し出すと、レオナルド熊が「いかにも一般大衆の喜びそうなアイデアですな、これは」と返す内容。
 「運用」という言葉がCMの世界にやってきて、表現はだいぶ変わった気がする。それを前提にしたクライアントとの会話もだいぶ増えた。メディアとしてのテレビと人との関係の変化のなかで、これは必然的なことだ。(そうしないと効果がでにくい状況になっているのだから。)でもCMはもともと15秒で、できるだけ多くのひとに誤差を生まずに何かを伝えることが得意な表現で、運用を意識しすぎた表現にすると、どこかその長所を封じたものになってしまうことも否定できない。ストレートなメッセージが増えたのはきっとそのせいもあるだろう。曖昧な表現は効率が悪く見えるし、そもそも運用の判断がしづらい。そのおかげで失敗の確率が下がる部分は大きいが、発信する側にとっての効率の良さは受け取る側には関係のないものでもある。自分のため以外の世界の情報が減っていくと、世界はちょっと色あせていくような気もする。
 「いかにも一般大衆の喜びそうなアイデアですな」。これはサントリーの生樽のCMのセリフだ。レオナルド熊が音の出る注ぎ口を、こうやって小馬鹿にする。今なら炎上する気もする。だが当時はこれを言われた一般大衆のほうが大喜びして流行語にもなった。こういうものを喜ぶ理解力を、なぜ世の中は失ったのだろう。
 もしかしたら広告は、広告への期待をつくるために何かしらの「見てよかった」と思えるものをもたなければいけないのかもしれない。それはクリエイティブの税金みたいなもので、みんながそれを払うことで広告という場が結果的に豊かなものになる。そしてその豊かな土地は自分たちのコミュニケーションを深めてくれる。結果、情報の浸透率があがる。心の粘着度もあがる。その納税を最近僕らは少しさぼっていたかもしれない。目の前の数字を追うと、その瞬間はいいけれど、結果的に未来を縮小させてしまうのではないだろうか。もちろん広告だから商品が売れなきゃいけないのは当たり前だが、自分さえよければ的な表現が増えてしまってこの土地を痩せさせているのかもしれない。だから今はこういう冗談も通じなくなってしまって。
 「いかにも一般大衆の喜びそうなアイデアですな」というセリフがうける世の中のほうが、やっぱりいろんな意味で豊かだと思うんだけどなあ。
「高崎卓馬のCM温故知新」 CM INDEX 2023年3月号掲載