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vol.115 嘘がつかえない時代だから


illustration Takuma Takasaki

Netflix「ペプシよ、戦闘機はどこに? 〜景品キャンペーンと法廷バトル〜」
2022年公開
1995年に“700万ペプシポイント”を集めると戦闘機が当たるというキャンペーンのCMを見た20歳の男性が応募するも、単なる広告だと取り合ってもらえず訴訟に発展した実際の出来事を追ったドキュメンタリー
 最近のテレビは、裏方がよく出ている気がする。昔からとんねるずやダウンタウンの番組にはスタッフが出ていて腹を抱えて笑ったけれど、ちょっとだけ出方が違う気がするのだ。「スタッフという素人が何かをやらされる」のではなく「プロデューサーやディレクター、作家として“そのまま”出る」ことが増えた。番組には画面に映るキャストだけじゃなく、制作者がいて、台本があって、スポンサーがいて、たくさんの背景があることを隠す必要がなくなった、というか隠す意味がなくなったからのような気もする。みんなもちろん知っているけれど、それは見せない。プロレス的なお約束。夢の国ではルールにのっとってエンジョイする。そういうテレビが守ってきた「嘘」が機能しなくなってきたからだろうか。密かにこれは大きな変化だと思っている。
 かつて憧れた大先輩は「CMには憧れが必要だ」と説いた。僕もそう思っている。でも、そこにある「飾る」という行為がいつの間にか「盛る」という言葉でネガなものにとらえられるようになった。タイムラインに流れてくる動画ではシズルカットを撮るための映像的な工夫が悪どい行為のように吊し上げられていた。飾りが許されない時代になりつつあるのか。「これは飾りだろ」とか「いい感じに盛ってるな」と思いながら自分のなかで少し引き算しながら見ていた気がするけど、その感覚はもう古いのかもしれない。ひょっとすると番組に登場する裏方のひとたちは、こういうことと戦っているのかもしれない。意識してか無意識かわからないけれど、作り事を作るひとを見せることで「本物」にしているのかもしれない。
 Netflixで『ペプシよ、戦闘機はどこに?』という有名な景品にまつわる裁判を描いたドキュメンタリーが最近公開になった。広告制作者的には耳の痛いエピソードがいくつもあるが、ジョークが通じない問題というより、ジョークの生まれた背景やそこにある小さな奢りのようなものが問題だと僕には見えた。何かを作ってひとを動かそうとするとき、こういう問題を回避する方法はただひとつ、消費者に対して誠実であること以外にない。
 逆に言うと、本当にとことん誠実でありさえすればどんなに飾ろうが、盛ろうが、ジョークを使おうが、大丈夫な気もする。誠実のふりをした萎縮がいちばん危険だから。
「高崎卓馬のCM温故知新」 CM INDEX 2023年1月号掲載