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vol.87 メジャーとインディーズのあいだ


illustration Takuma Takasaki
※イラストはイメージであり、実際の情景とは異なります

ハウス食品/とんがりコーン/「植草登場」篇 1990年10月制作
『とんがりコーン』を食べきった植草克秀が、商品の看板を見て30マイル先にある移動販売車まで自転車や馬車などに乗って大急ぎで向かい、「新発売の和風バーベキュー味ください」と注文する内容だ。

【主な制作スタッフ】
広告会社:博報堂
制作会社:東洋シネマ
企画:宮川清/市岡正哉
プロデューサー:藤井修
演出:依田信生
撮影:土屋潤
 たいていのハウスのコマーシャルを覚えている。楊夫人(マダムヤン)とか、とんがりコーンとか、映像もサウンドロゴも体の奥の奥まで染み込んでいる。この仕事をするようになって聞いたのだけれどその頃のハウスは、とにかくオンエアの回数を重視していて、同じ予算でも回数が稼げる深夜を徹底的に狙っていたそうだ。なるほど、オンエアのスタイルでブランドの存在感を際立たせるなかなかうまいやり方だと当時思った記憶がある。仕事が終わってテレビをつける深夜型の僕のような人間はハウスのコマーシャルにとにかくあたる。昼間にテレビを見ることがほぼないので僕のなかでハウスは一日中コマーシャルしている印象だった。だからハウスのコマーシャルは僕のなかでザ・王道だった。あれがひとつの座標になって、そこからどう離れてどう目立つかを自然と考えるようになった。パロディーの企画を何度したかわからない。
 テレビCMはそもそもテレビというメジャーなステージを与えられていた。だから逆にそこでちょっとでも変わったことをやれば目立てた。新しく見えた。広告のクリエイティブをやる人間にどこか変わっているひとが多いのはそんな理由もあるのかもしれない。いやが応でもメジャーになってしまうから、表現にすこしひねくれた視点があったほうが目立てるし、届く。そういうバランスのなかにずっといた気がする。
 一方でいつからだろう、広告はひとつの憧れを描くべきものでクリエイティブが遊ぶためのものではないという声もよく聞こえた。両方とも一理ある。でも僕は広告はこうあるべきなんて議論ほど無意味なものはないとも思う。ひとを動かすことが最終目的でそのためにあらゆる手を尽くせばいいだけで、メジャーなことをやれば動くのならそれが正解だし、そうでなければ違う手を尽くせばいいだけのことだ。正解なんかない。不正解はあるけど。
 ハウスのコマーシャルをあらためて見直すと、いろんな商品があるけれどどこか一貫性を感じる。キャストなのか、映像の徹底した明るさなのか、それが自覚的なものか、そうでないのかはわからない。作り手はつど違うだろうし、クライアントさんの担当者もこれだけの歴史があるから変わっているだろうけど、なんだろうこの一貫性。こんどゆっくり考えてみよう。
CM INDEX 2020年3月号掲載