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vol.109 ユーモアの境界線で


宝島社/黒丸広告「遭難」篇 1999年11月オンエア開始
雪道の足音に合わせて黒い丸が画面右上に進み、熊のうなり声と男性の悲鳴に続き黒い丸で表現された血しぶきが広がる。再び足音とともに黒い丸が現れ「あなたを驚かせるのが、私です。」のコピーを映した。

【主な制作スタッフ】
広告会社:博報堂
制作会社:ニッポンムービー(現クレイ)
CD:笠原伸介
企画・アートディレクター:河野良武
コピー:前田知巳
プロデューサー:椎名健仁 PM:飯田克彦
アニメーション:畠井武雄

サウンド:北里玲二
 宝島のこのCMが好きだった。「おじいちゃんにも、セックスを。」「死ぬときぐらい好きにさせてよ」とか名作の多い企業広告だがこの頃の広告はメッセージを前面に出すというより、どこか「含んだ」表現で攻めていた。予想を裏切るものがここにあるという広告っぽいコンセプトが企画のスタートにあったのではと思うけれど、それをシンプルに研ぎ澄ませた結果、人間の業を描いた典型のように思う。予想を裏切られる快感がここにはある。その快感が宝島の雑誌をめくるときに得られるものと近く、その裏切りにはどこか「考えさせられるもの」がある。何度見ても、いつ見ても、同じ気持ちになる。多数あるシリーズのなかでも、熊に襲われるものは秀逸だ。想像力を刺激しまくる。映像と音の関係が美しい。
 広告はいつの頃からか、いいことを言い過ぎてきた気がする。SNSを警戒するあまり優等生的な物言いが増えたのか。広告で世界を変えられると思いすぎていたのか。表現が届きにくくなってどこか直球気味になっているのか。自分を客観的に見てもやっぱりそういう傾向がある。でもこういう宝島のCMのように言いたいことを表現に昇華して、ユーモアや物語に包んで届けたいと思う。そのほうが深く届くから。ユーモアってものすごい表現の技術だと思う。笑いをつくるほうが、感動系のものをつくるより圧倒的に難しい。笑いは笑いながらつくれない。
 優れたユーモアは、社会の歪みをやさしく直してくれたりする。僕の先輩でなんでも言葉にしちゃう天才がいた。会議室でみんなが突然無言になる瞬間や、大きな仕事になると人が増えることだとか、いろんなものに名前をつけていた。最近はあだ名をつけることを禁じられる場面も多い。つけられた本人が笑っていても実は心の奥のほうで傷つくこともあるからだけど、いいあだ名もあった。とっつきにくかった偉い人がやさしいパパに見えて、チームの中の何かがあきらかにスムースになったり。みんなが薄々思っていたことの「言語化」がうまかったんだと思う。ユーモアは根拠のない権力を無力化する道具だ。のしかかる重さを軽くする魔法だ。でもスキルのない人がやると確実に火傷する。ウィル・スミスのアカデミー賞平手打ち事件みたいなことが起きやすい。ユーモアを磨くというのは表現の機微、相手にどう届くかという部分に敏感でいるために必要なことだ。
CM INDEX 2022年5月号掲載