グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



TOP >  インタビュー・コラム >  高崎卓馬のCM温故知新 >  vol.107 広告はちゃんと人間を見ているかな

vol.107 広告はちゃんと人間を見ているかな


illustration Takuma Takasaki
※イラストはイメージであり、実際の情景とは異なります

日本電信電話/通話促進/「カエルコール 新宿地下街」篇 
1985年8月オンエア開始
スーツ姿の男性が公衆電話で「もしもし、俺だ。今から帰る」などと妻に連絡する。カメラが引くと彼が緑色のカエルのオブジェに座っていることが分かる内容で、「カエルコール」「ありがとう。」の文字を重ねた。

【主な制作スタッフ】
広告会社:NTTアド/博報堂
制作会社:TBS映画社
CD:井出壬一 PR:永島久夫
演出:市川準 撮影:小泉一宏 作曲:関口俊行
出演者:山田豊/寺田慶子/NTT社員
 NTT(日本電信電話)が1980年代に放送していた「カエルコール」のCMについて打ち合わせでよく話す。CMとしてよくできているとか、賞をとりそうとか、そういう類のものじゃないけれど、「カエルコール」は広告が世の中の習慣を作ることができるいい証明だ。今見ても戦略的な部分で、ものすごく素敵な仕事だ。サラリーマンが家に帰る前に公衆電話から「今から帰るよ」と1本電話をいれる。ただそれだけのことだ。携帯のない時代だ。電話をもっとたくさん使ってほしいとき、僕らは電話の素晴らしさとか、コミュニケーションの豊かさとか、そういうもので感動的な物語を作ろうとしがちだ。それをブランド広告と言ったりして。でもどこの誰が作ったかわからないフィクションの感動物語で「電話をしよう」「もっと使おう」という気持ちになるだろうか。もしそうなったとしても、すぐに忘れてしまうんじゃないか。人を本当に動かすものと、広告の作り手である僕らが作りたがるものはちょっと違うんじゃないか。そんな話をするときに、よくこのCMの話をしている。
 家に帰る前に1本電話する。その行為に家族とのつながりや温かさなど、いろんなものが含まれている。これこそ僕たちが今、目指すべきものじゃないだろうか。今までになかった行為を作り、習慣を生む。それが商品と人の接点になる。それを発明することが企画というものじゃないだろうか。ストレートな表現じゃないと不安になるのはわかる。そういう時代だ。でも自分のことを言うのではなく、相手のことを言うべきじゃないだろうか。ビジネスとして機能するのは、きっとそういうものだ。
 たしか「ふるさとカエルコール」とか「コケッコーコール」など、この後もどんどん派生させた。これは発信する側の意識がちょっと強かったのか、あまり流行らなかった記憶がある。きっと「カエルコール」は「やっと帰れる」という戦士たちのため息や、「お風呂沸かしとくね」みたいな家族の優しさを内包した行為として機能したから、単なる通話としての意味を超えたのかもしれない。ビールを飲む。タクシーをつかまえる。転職する。格安スマホを買う。引っ越す。広告は人間の行為を描くものだから、どんなにストレートな表現になっても人間の側にさえいたら、意味のあるものを作れそうな気がする。さて今日はこれで仕事も終わりだから、「カエルLINE」しますかね。
CM INDEX 2022年3月号掲載